野口遵(したがう)記念館

施設紹介
Facility Introduction

名誉館長

吉野 彰

(2019 年 ノーベル化学賞受賞)

1955年に建設された野口記念館は、旭化成の創業者である野口遵翁を記念して建てられました。野口遵翁は、わが国で初めてアンモニアの工業化に成功し、その副産物を次々に製品化していくなど、多角化経営の礎を築いたことで知られています。また科学者でありながら、先見性や確固たる経営理念をもち、多くの苦難にも果敢に挑戦する姿勢は今の旭化成にも脈々と引き継がれています。この野口遵翁の想いは現在の延岡市にもつながっています。当時の村単位の自治を町に統合し、更に市へと拡大できたのも、まち(延岡)の未来を考え、人々の幸せを望む先人の強い意志があったからではないでしょうか。われわれ科学者が未来に責任をもつことの大切さと同じことを感じることができます。

さて、野口記念館は設立後、延岡市の文化振興の中核的施設として、市民の皆さんに親しまれ、愛されてきました。再整備のため2019年に閉館し、この度、野口遵記念館として新たな歴史のスタートをきります。
本記念館の周辺には延岡市役所をはじめ、主要施設が整備されています。
城山公園や延岡城・内藤記念博物館、現在建設されています県立体育館がそうです。幅広い世代の方々が種々の活動に利用・活用するだけでなく、多様性のある交流が実現し、つながっていくような社会の活動拠点として、延岡市の発展に寄与されることを期待しています。

野口遵記念館の命名の経緯

この施設の前身である延岡市公会堂野口記念館は、昭和30年(1955年)に建設され、旭化成株式会社創業30周年を記念して延岡市に寄贈された施設です。その後60年以上が経過し施設の老朽化のため、旭化成(株)から30億円の寄付を受け建て替えられました。
市民に永く愛されてきた前身の野口記念館を継承するとともに、旭化成(株)の創業者で「のべおか新興の母」と呼ばれる野口遵翁の功績を顕彰するため、施設の名称を「野口遵記念館」へ改めました。

野口遵記念館の特徴

  1. 歴史文化ゾーンの象徴的施設
    市民に永く愛されてきた(旧)野口記念館を継承し、歴史文化ゾーンの象徴的施設として、音楽活動に最適なホールをはじめ、求められる役割を十分に果たせる機能と特徴を持った施設を目指します。
  2. 文化活動によるまちなかのにぎわい創出
    南北と東西のアクセス「野口遵どおり、ごかせどおり、おおせどおり」、各所にゆとり空間を設け、様々な文化活動による活用で、まちなかのにぎわい創出につなげます。
  3. 野口遵翁の顕彰による人材育成
    野口遵顕彰ギャラリーでは、野口遵翁の人間像をわかりやすく紹介し、夢や志に向かって挑戦することの大切さなどを子どもたちにも伝えていきます。
  4. ユニバーサルデザインの先進的なモデル施設
    メイン入口・楽屋入口から舞台までは床段差を無くしたフラットなつくりとなっており、利用者が安全にかつ安心して利用することができます。また、ホール内に車いす席を最大26席、防音性能を備えた多目的室、磁気ループコイルによる聴覚障害者補聴誘導システムを導入しています。
  5. ふるさとに誇りを感じる延岡産材を活用した施設空間
    ホールの壁面やフローリング、ロビーの内装に、延岡産の杉材・ヒノキ材を活用しています。市民がふるさとに誇りを感じることができるような空間を目指します。

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